2007年10月19日金曜日

古都鎌倉・順礼古道






















































順礼古道と、なずけられた、山道が有ります、この道の起源や名称も定かでは無く、色々の説や断片的に遺された文献などからの推測であり、歴史、民俗学的にも、結論は出ていない、坂東三十三観音霊場の第一番の杉本寺(創建、天平六年・734年)から逗子市の第二番霊堂の岩殿寺までの山道である。

杉本寺から報国寺向かいバス通りを進み報国寺を過ぎると、住宅の間に路地のような細い道が有る、入り口に順礼古道と書かれた小さな矢印が有ります、細い路地に入り進むと道の両側は、静かな住宅である、突き当たりにコンクリートの新しい階段が有る,そこを上り、60m程で素朴な細い山道になる、道は細く鎌倉の砂岩を切った階段状になっている、風化した石段は中々風情が有る、急な坂を進むと砂岩の盤状の石がところどころに置かれている、この石は庚申塚だと言われています、しかし材質が砂岩で、石の表面が新しく、この形状の庚申塚は、数多く有りますが、古代に安置されたと思われる、状態の庚申塚は無い、近代の安置と推測できます、しかし一ヶ所、形状の異なるだるま状の砂岩で作られた、古い庚申塚が有ります、形状や表面の劣化状況から年代は、不明確ですが、古い物である事は、推測できます、急な坂道の曲がり角の奥に「やぐら」の中に、地蔵様が安置されている、材質が砂岩なので、長い時の経過で、風化し、彫刻の繊細な部分は、確認は出来ないが中々良い、お姿である、この地蔵様の資料を探したのだが、確たる資料が無く、又色々な方にお尋ねしたのですが、結論は、安置されている「やぐら」は、崩れ破損していますので、造られ時代が不明確で、本来使用目的が墓所であり、誰が何の為に何時の時代に作られたのか、立証する資料も全く無いのです、しかし風化の状態から古い物だと言うことは、推測できます、鬱蒼とした木々の下、薄暗い情景の中に何か神秘的立っている姿は、心を引かれるかれます、誰かの墓では、無いのかなと思いながら、道を進むと下り坂に差し掛かる、そこに笹と草に覆われた、先にも紹介しましたが、古い達磨の様な形の庚申塚と刻印された石が有る造られた年代は、不明確ですが、昔ここに道筋が有ったのでしょう、風化の状態から古い物だと思われます、この庚申塚辺りから生息する樹木や下草の種類が変わり、里の雑草が少なくなる、先に進むにつれ石の階段状の道筋から土の山道なり下り坂になる、これより先は、関東地方の里山の景色である道筋は、歩きやすい、視界が開けて、鎌倉の市街地が望めたり、中々変化の有る、道筋である、最後に暗く、少々急な下り坂を下ると、大きな分譲団地の前に出る、これより先は、分譲団地の建設時に道筋が付け替えられてしまい、現在は不明確になっています、ここで順礼古道を廻るのを終了しました。
鎌倉の山には、現在も名も知れぬ細い山道が、数多く遺されております、順礼古道もその中の一つです、現在遺されている山道も生活道路として使用されていたものと思われます、時代により道筋も変化し、形状も必要条件により変化していますし、単純に山奥に築いた墓所の為の道も有ります、現在は子孫が絶え道筋だけが残されている道も有るようです、順礼古道も推測ですが、生活道路であり、順礼の近道で使用されたと思われます、道筋についても順礼古道の入り口の両側の地形も宅地の建設などの影響で、中世時代の地形の面影も残されていません、現在入り口とされている場所も定かな資料も遺されていませんし、順礼古道に安置されている、観音地蔵も建立の起源や目的が不明確で、観音地蔵が安置されている、「やぐら」は、鎌倉の独特な形式の横穴式、墓所ですので、本来墓所であったと、推測できます、墓所とすれば、鎌倉期の墓所の様式から「やぐら」の中に観音地蔵を安置するのは、不可解で、墓石等も一切無く、「やぐら」自体も前部が崩れ原型の形状が失われていますので、作られた、時代などの解明が困難な状況で、説としては、色々有りますが、個々の主観的な立場での、物語性に近い説が多いようです、一つの推論ですが、本来の使用目的は、墓所で、その後子孫が絶え自然の災害等で、「やぐら」が崩れ墓石も消失し、以後、誰かが、崩れた「やぐら」を整備し「やぐら」の側に有った観音地蔵を「やぐら」に安置したのではと言う説も有ります、順礼古道は、軍事的・政治的な目的の街道では無く、単に生活道路で有った事だようです、坂東三十三ヶ所観音霊場が出来たのは、13世紀と言われておりますから、当時の道筋も変化していると、言われています、現在残されている、道筋の石段等の状況から見て、少なくとも近代に整備されたものと思われますので、道筋の一部は、多くの部分は、変化しているようです、現在の情景を見ながら、中世の当時は、如何なる情景かを、訪れる人々それぞれが、思うしかないようです、世相の物語では、無く個々の歴史観の中で、感じた世界を大切していただきたいと思います。

順礼古道は、風情が有り、静かに散策するには、良い道です、しかし道の殆どが、民有地なのです、個人の土地に立ち入り通行をさせて頂くのですから、マナーを守って、行動したいものです。

最近鎌倉は、心無い人々が多く、訪れるようになり、目的を逸脱したように、行動する人を見ると、人間としての寂さを感じる、鎌倉事態も自己の文化を忘れているのではないかと、疑問視する場面を目にする事が多いい事は、残念である。     、